ダルマ100% !!

真理を生きる。100%真理を生き切る魂たちのためのブログ

ライトワーカーの基本原則とチャクラの関係

なんだかライトワーカー関連の記事が続いています。実は、これを書いているのはどうやら自分ではない感覚があります。けれども実際書いているのは私ですし、自分のアイディアとして湧いてくるものをきちんとチェックし、修正し、より整えられ配慮ある形でみなさんにお伝えする責任は私にあります。

 

感じ方としては確かに普通と違う、チャネリングっぽい感じはあります。ただ、誰であれ何かしらの波長に同調して自己表現しているわけですから、全ての存在がある意味チャネラーであり、サイキックであり、目に見えないモノの体現者であるのだと私は思うのです。

 

前記事で私は、ライトワーカーという言葉に付着した「誰でも簡単お手軽、やろうと思ったその日から♪ あなたらしく働ける♪」のような印象を拭いきれずにいることに少し触れました。こういう文句やニュアンスを、もし自分が求人サイトで見たら…「怪しいな〜なんか裏があるな」と思うんですきっと。これが悲しかな、スピリチュアル界隈では頻繁に見られますし、疑問を投げかける人もあまりおられないようなイメージがあります。最も、気づく人はその場から立ち去っていくからなのでしょうが……

 

私はここに2つの損失があると感じています。わかりやすく並べます。

 

1.ライトワークへの誤解が、当事者たちの時間を無駄にしていること。

たとえば草野球を野球と勘違いして、本来プロを目指せる人やファンの世界観を限定してしまっているという感じです。本質的な重要性と意義について混乱し、主観的な世界に浸ることによって、ご本人とそこに関わる人たちの肉体、マインド、そして時間という資源、機会を十分に生かしきれていないということがあります。

 

プロ野球なら頭部へのデッドボールは文字通り死につながる一方、草野球ならまだ安心^^ということもありますが…河川敷でのデイゲームを「これが野球のすべてである」と思っていると、その損失は全体にとって計り知れないものがあります。

 

・本来高い次元にあるはずの魂が、参入するタイミングを失うこと。

全てはなるようになる、という考えは一度わきに置かせていただきますね。

より真理に近く、つまりより正当かつ上質なものを目指す、これが人間の仕事です。誰でも低品質を好む人はいません。ほんとうに霊的に生きるということは、まるで会社が行う経営努力に匹敵する、むしろそれ以上の具体的かつ現実的努力が必要なものです。

 

自覚の有無は別として、霊的に生きることを実際うまく体現しているのは、世の中で成果を出している人たちです。その人たちは自分の仕事に魂を注ぎ込み、そのエネルギーがあらゆる部分に正確に反映されるよう、常に最新の注意を払い、結果にこだわります。そのためには自分の持つあらゆるものを犠牲にする覚悟を持ちますし、いつも自分に厳しいという特質を持ちます。

 

物質次元での活動を下に見てその上に立とうとするスピリチュアリストは、進化は下から上に向かって起こることと、より高い進歩段階は、それ以下の段階のものを含んでいるということ考えなければなりません。例えば大人は子供よりも進歩した存在ですが、それは子供である自分を抱えていく形で進化発展していくものです。物質次元での活動とその手法に敬意を払わずに、より高次元の活動を行うことはできません。

 

何も現実の領域で成功してからでないと高次の仕事に着手できない、というわけではないと思いますが、それに対する敬意を欠いてはならないのは確かだと思われます。だって、いくら高次だとか言っても、肉体のある間は衣食住は必須ですし、いろいろな社会インフラや企業の現実的サービスの助けを借りて活動するわけです。よく考えれば、当前のことです。

 

魂のレベルが高い人たちは、無意識でこのことをわかっています。だから、安易なニュアンスでライトワークについて発信してしまうと、本来その魂が目覚めるタイミングを逃してしまいます。「スピリチュアルって、なんかあれだよね」というイメージが実際に日本人の潜在意識にどれほど深く刷り込まれているのかを考えたら、これからライトワーカーとして働くと決意した私たちの考えや行いの責任と課題が、よりはっきりするのではないでしょうか。

 

働こう、それがあなたの使命なのだから。

人体の七つのセンターがそれぞれに持つ役割と性質を学ぶことで、肉体がそのまま、私たち人間という存在がどのように活動すべきかについての青写真となっていることがわかります。センターについてはまだわかっていないことの方が大半だとは思いますが、しかし主要な七つのセンターについては現代でもはっきりと認識されつつあります。

 

より高度な情報を得ることよりもまず、太古から東洋で洗練され、現代では西洋でもその価値が認められるようになったセンターの基本的な体験的事実から確認していきましょう。

 

今すぐに体感できるワークをしてみましょう。祈る時のように合掌してみてください。その手はどこにありますか?おそらく胸のセンターの前あたりになるのが一般的で自然なことだと思います。祈りは高まるほどに、その手は頭頂部へ向かいます。

 

しかしその合掌の手は、横隔膜の下のチャクラには届きません。(手を逆さまにしちゃダメですよ!笑)、大洋神経叢のマニプラにはギリギリ届きますが、その時の体と心の様子を感じてみてください。マニプラ以下では祈れないというのが私の感想ですが、みなさんはいかがでしょうか。祈り際して、合掌はハートよりも上に位置するものです。

 

これは私が秘教から得た知識ですが、横隔膜を境にして、上と下のチャクラには明確な違いがあります。霊的に生きるということは、常日頃から高次、つまり神性を表現することで、手を合わせることによって表現、象徴されます。これは横隔膜から上、つまりアナハタ(胸)、ヴィシュッダ(喉)、アジュナ(眉間)、サハスラーラ(百会)を活性化させて生きるということです。横隔膜から下は、手を合わせないで生きる、つまり霊性にはまだ触れる必要にない人たちや動物の生き方になります。(それでさえ、神性の段階的表現ではあります。私はそういった表現に対して愛をもって書いています)

 

私自身も目指している理想的なライトワーカーとしての生き方は、

 

上の次元(横隔膜から上)に対しては同調し学び、下の次元に対しては働きかける。

 

ということになるのではないでしょうか。より高い基調に合わせる形で下を機能させる、言い換えれば、より高度な次元で調和を実現させることこそが、ライトワーカーの仕事になると、今の所思っています。なのでライトワーカーは、どんな業界にもおられるわけですし、またそこに神の子がいる限り必要だと思うのです。

 

これはカルマヨーガそのものであると、お気づきの方もいらっしゃるかもしれません。おそらく、まさにその通りです!自分のカルマに正面から向き合いながら、その中で自身の与えられた神聖さを発揮する生き方をする。するとその人は神の意志の通りに、神の完璧な台本を演じている役者になれるのです。

 

ライトワーカーとは、幸せな神の道具であり、その有り余る幸せを与えるという更なる幸せの権利を思い出した人たちであるに過ぎないと、私は日頃から感じています。ここには、妥協のない不二一元論とエネルギーの微妙な関連性が発見できます。

 

 

最後にご連絡ですが、私のこのライトワークはブログとポッドキャストから始まりました。まだ初めてまもないですが、オンラインでの無料相談を始めようと考えています。もともと心理カウンセリングをしているのもあって、いずれ対価をいただく形にしますが、今の所、こういった内容に興味関心をもっている人とのコミュニケーションを大事にしたい、という理由があります。

 

これらは準備でき次第、告知させていただきたいと思います。