ダルマ100% !!

真理を生きる。100%真理を生き切る魂たちのためのブログ

ライトワークこと始め

真理がすべてであり、私たちの行うべきことは、ただ真理の法に則った生き方をするだけです。

 

私たちは真理、つまりは神の愛だけを求めており、それを自らを通して表現することだけが喜びです。

 

この非常にシンプルな基本原則が、現代ではあまり重視されていないばかりか、スピリチュアルな分野では、言っていることは最もに聞こえるものが多く、確かに間違ったことは言っていなくとも、私からすればどこか我のにおい我するものが目立ちます。

 

中には完全に自我のために語られた霊的テクニックも見受けられ、そこに迷い込んで貴重な人間としての生を浪費しているケースもあり、無念に思います。

 

幸にして私自身は、19歳の頃にはその違和感に気づき、縁もあってちゃんとした霊的王道を歩むことができました。それでも道を継続的に直進することが難しく、離れた時期もありましたが、本物と偽物、もとい本筋と横道の識別で間違ったことは一度もありませんでした。

 

私の使命 ー霊的王道ー

私の使命は、霊的王道を多くの人の人生の基礎として持っていただくことにあります。

 

人々がどんな境遇にあり、どのような種類の仕事をしていたとしても、それらに通底する彼らの霊としての正しいあり方を思い出していただけるよう、促すことが仕事です。

 

そのために、もちろん自らも人生の全てをかけてその道を進み、失敗や挫折、そして復活を繰り返しながら、その階梯を少しづつ登っています。私もみなさんと同じ一人のプレイヤーであり、同じ道を歩む同志です。

 

王道とは、単調である意味刺激のない手法かもしれません。根本的なアプローチほど地味であるというのはどの分野にも言えることです。現に霊的王道とは、ブッダやキリストが過去に説いたシンプルな規定以上のものではありません。霊的に最高の行法は、常に目の前の物質次元において完璧になすことができます。退屈でつまらないと思える「今ここ」で、最も霊的にダイナミックなことができると聞いて、何か魂の奥底で感じるものがある人は、私と多少なりとも縁があり、かつこのブログから得るものがある人だと思います。

 

もちろん、エネルギーや地球をはじめ太陽系など、私たちを取り巻く霊的事情に精通することも重要であり、個人というある種限定された時空間に存在し、その制約の中で決断し行動しなければならない私たちにとって、そのあたりの未科学の分野を把握することは、自分の使命の具体的な側面で非常に役立つに違いありません。なのでその辺りについても、今後積極的に触れていくつもりです。

 

タイトルの意味

「ダルマ100%!!」というタイトルは、好きな芸人のアキラ100%さんからとっています。ちょっとふざけていますが、ちょっとくらい抜けがないと面白くないですし・・・

ただ、真理に忠実にありたいという真摯な願いも含まれていますし、ダルマ(Dharma)には聖なる義務という意味もあります。実は大変真面目な意味が、表の悪ふざけの背後に隠れています。

 

苦しみは自我からのみ生じる

冒頭に太字で強調したことは、苦しみの原因についてのはっきりとした事実の説明にもなっています。すなわち、神の意志を行わないことが私たちの苦しみであり、私たちが何か望んだものを手に入れて尚苦悩するのは、神の愛ではないものを神の愛の代替としているからです。

 

つまり、自我(このブログでは、エゴという表記を同じ意味で使います。)を選択することからのみ苦しみが生じます。これは反対に、神を選択して喜びが生じないことも、苦しみが生じることもあり得ないということです。

 

本質的ライトワーク

人生は複雑です。その中で真理を体得し、それに沿って現象を理解していくことも同じく複雑で時間のかかることです。私一人にできること、達成できることには限度があります。だから私はみなさんと一緒になって、この聖戦に取り組んでいきたいと考えています。個人個人がそれぞれに自分のダルマ(真理・義務)を生き抜いて何かを達成すれば、それは全体にとっての達成でもあり、進化段階の底上げにも貢献することになります。

 

そして達成することは、何も現象として目に見えるものとは限りません。ライトワークの本質は、現象という象徴、つまり結果の世界を通じて、原因に取り組むことにあります。やったらその分お金が手に入るとか、現世的に幸せになるとか、そんなことに拘泥していたり、強調する霊性の教師たちは、本質を甚だしく間違えているように感じます。

 

例えばですが、人には意志→動機→思考→行動という順番で動作がありますが(大まかな説明なので順序については深く突っ込まないでくださいね)、この不可逆的な手続きからしてもわかるように、人が本当に責任を持つべきなのは、行動よりも思考、思考より動機、そして最終的には意志にこそ責任の在処を求めるのが適当であることがわかります。

 

ライトワークの本質はここから学べるように、まさに原因にこそ取り組むことであり、並行して原因に取り組むことへの信頼を育むことでもあります。当然ですが、行動のレベルで何もしないということではありません。それは聡明な読者の皆がわかることです。人には肉体があり、地上で生活する間はそれなりの必要が常にあります。

 

そういった瑣末な物事に関しては全て神が面倒を見てくださる、というのが、どうやら道に人生を捧げた偉大な先人たちの共通認識となっているようです。私も最初の頃は不安でいっぱいになり、実際経済的に困窮したこともありましたが、本当に自分の食べ物の心配をしたことは一度もありませんでした。いつも誰かが助けてくれたり、ぎりぎりで必要な資源が与えられてきました。

 

さあ、これ以上書くと長ったらしくなってしまうのでこの辺で最初のこと始めの記事を締めたいと思います。投稿は今の所不定期ですが、少しでも多くの魂に私の声が届くよう、努力して行きたいと思います。